小江戸にプチトリップ! 〜歴史を感じる 川越まち歩き〜

江戸のお膝元として栄えてきた川越には、当時の様子を今に伝える建築物や史跡が数多く残っています。練馬、板橋から1時間ほどで気軽に行ける川越のまちを、川越シルバーガイドの鈴木さんに案内していただきました。

※2025年6月号掲載当時のものです。内容が変更になっている場合があります。

江戸の面影を今に残す寺と城

「小江戸」と呼ばれる川越は、徳川家や江戸との関わりが深かったまち。まず鈴木さんが案内してくれたのは、「川越大師 喜多院」。830年創建の寺院ですが、現在の建物は1638(寛永15)年の川越大火の後に再建されたもの。特筆すべきは、江戸城から移設した「徳川家光誕生の間」(客殿)、「春日局化粧の間」(書院)があることです。


「第27代住職・天海僧正は、川越を訪ねた徳川家康と意気投合し、その後家光の代まで徳川家に仕えました。そのため、喜多院再建の際には、徳川家が全面協力。家光が生まれた部屋と彼の乳母の春日局の部屋を移築したことからもその力の入れようがわかります」
今はなき江戸城の一端を見ることができる貴重な場所です。

喜多院まで行ったら、その北側にある成田山川越別院まで足を延ばしてみましょう。境内には、巡礼と同じ功徳を得られるとされる「四国霊場御砂踏(しこくれいじょうおすなふみ)」などもあり、毎月28日には「蚤の市」が行われています。
続いては、喜多院から徒歩10数分の川越城本丸御殿へ。
「徳川家と懇意だった川越藩が、足利利成に対抗して江戸を守るために太田道真·道灌親子に命じて築城させたものです。天守はなく、今はない富士見櫓(やぐら)をはじめとする3つの櫓がその代わりをしていました。ちなみに本丸御殿の大広間が現存しているのは川越城と高知城だけなんですよ」

川越商人の矜持を感じる蔵造り

川越といえば外せないのが、一番街の蔵造りの町並み。実は、土蔵の店がずらりと並ぶ町並みが誕生したのは明治時代なんです。
 「1893(明治26)年に町域の3分の1にあたる1302戸を焼く大火が発生。そのとき焼失を免れた家屋がすべて耐火性に優れた蔵造りだったことから、川越商人たちはこぞって蔵造りの建物を作ることにしたのです」


現在の価格に換算すると蔵1棟を建てるのに数億円もかかったのだとか! それでも江戸を支える物流の要衝として繁栄してきた川越の商人は裕福だったため、大火後2〜3年の間に200棟以上が建設されました。壁は江戸黒と呼ばれる煤(すす)を練り込んだ漆喰。江戸黒の蔵が建ち並んでいた日本橋の影響を受けているそうです。日本橋の蔵造りはもう見ることはできませんが、川越には美しい町並みが今でも保存されているのです。


「目をつぶって地図を適当に指しても何かしらの名所に当たるくらい、川越は見どころが多いまち」と鈴木さん。貴重な建築物や史跡はまだまだあるそうです。次は蔵造りの町並みの注目ポイントをご紹介します!

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彩きもの学院 池袋校
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